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当ブログはJ-WAVEの「GROOVE LINE」内でピストン西沢氏にごく一瞬紹介されました。まぁ素敵。


by travelers-high
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武士の時代

先日行った愛知県での研修の感想をMJ市に提出しなければならない、なぜなら研修費の半分を市が補助してくれるからだ。何か文章をデッチあげないと金が下りないので、正々堂々あることないこと書いた。たった今、暇な方は読んでくれい!そして、ここおかしいんじゃねえ?と思うところがあらば、遠慮なく教えて欲しい。文章がやや長いので、近所の自販機でコーヒーでも買ってから読み始めることをオススメする。それでは、始まりはじまりー。

武士の時代_d0001925_12491923.jpg『 武士の時代、日本は米の生産量で国力を表した、「石高」という単位だ。肥沃な土地と優秀な農民、それが国の力であり時代を支えていた。かつて、日本は農業国だった。
 「農業」を基幹産業としていた我が国は、戦後大きくその姿を変えた。高い技術力と勤勉な労働力を背景に、思いつくあらゆる分野で目覚しい発展を遂げ、今では世界屈指の経済力を持つに至った。しかし現在、かつての国の柱であった農業は、担い手の不足にあえぎ、食料自給率は先進国中最低レヴェルに低下、そして「食」をめぐる事件の数々、日本の農業は正に危機的状況である。
 そういった時代にあって、それでも尚自らの将来を「農」に託す熱意ある若者が、その情熱を爆発させるのが、「全国農業青年交換大会」だ。当初、私はその大会の存在すら知らなかったのだが、MJSAP会議の理事長であるM君がその大会の存在と意義を語る中で、次世代の農業を担う同世代の人達と交流する事の重要性に気付き、M県SAP会議においては新参者であり、また他県出身であるという気後れもあったが、M県代表団の一員に加えて頂いた。
 大会は今回で17回を数え、「で愛・ふれ愛・かんじ愛」をテーマに愛知県で開催された。愛知県を中心とする東海地方は自動車産業の好調を背景に、バブル経済の崩壊に端を発する不況から脱せずにある日本国内にあって、特徴的に景気の良い地域である。折しも、愛・地球博の開催期間中ということもあり、日本で最も活力のある場所と言えるだろう。その勢いそのままに、大会は興奮の中で幕を開けた。
 初日、オープニングアトアラクションに続き、皇太子殿下をお招きした開会式が行われた。それに続く活動成果発表ではそれぞれの専門に分かれ、各地で評価の高かった農業青年による研究成果発表、農業青年の提言及び優秀農業青年クラブ発表があった。各地で高い評価を受けた研究が集められた発表はどれも本当に素晴らしいものばかりで、農業青年の高い技術、熱いパッション、そしてそれを後押しする地元組織、行政の質の高さを証明するものであった。この時、偶然にも直接私が聴く機会のあった鹿児島県の製茶に関する発表が、全国的にも好評価を受け高い賞を獲得した。内容は、専門的な事柄を模型などで実に分かりやすく説明していて好感が持て、尚且つ本来秘密にしておきたいはずの茶の質を高める特殊な技術に関しても具体的に説明する等、その研究へ取り組む姿勢と、惜しげもなく内容を発表する懐の深さに大きな感銘を受けた。
 しばしの休憩を挟み、交流の夕べが始まった。それまでのアカデミックな雰囲気から、一転して終始和やかな交流会となった。立食形式のテーブルには、愛知県の食を代表する「ひつまぶし」や「天むす」、そして「味噌カツ」などが華やかに並んだ。杯が進むと、同じテーブルとなった者同士が農業について熱く語り合い、また農業を離れたところでも同世代の人間同士共通の話題で盛り上がったりもした。会場に併設されたステージでは、愛知県4Hクラブ有志などによる歓迎アトラクションが行われ、半裸に赤褌での祭りをテーマとした男性的、原始的な狂乱の踊りが大きく会場を沸かせていた。また、日本全国から集められた地酒の数々を試飲出来るコーナーも設置され大変な人気を集めていた。これは私見であるが、新潟の酒はとても上品な味がしてうまかった。宴たけなわで交流会もお開きになり、それぞれの宿舎に散っていったわけだが、移動するバスの中で、夜の街の光に映し出されたそれぞれの上気した表情がとても印象的だった。次の日に予定される現地交流会が楽しみになった。
 二日目の現地交流会のスケジュールは、瀬戸物で有名な瀬戸市にある愛知県陶磁資料館での「やきもの作り体験」、午後は「大須商店街ウォークラリー」、そして夕食時の「交流の夕べ」となる。
作陶体験では指導の方の丁寧な説明があり、その後手動のろくろを使っての作業となった。粘土を触るのは中学校の美術の授業以来だった。当時、美術は私にとって鬼門とも言うべき教科だったが、十数年振りの粘土遊びは意外に楽しく、こねたり叩きつけたりと実に爽快な気分になった。蛇足であるが、後日完成品となって家に届いた私のコーヒーカップはラーメン鉢のような重量があり、とても実用に耐えるものではなかった。やはり美術は私にとって鬼門であり続けるらしい。
続くウォークラリーでは、専門も住む地域も完全にバラバラの参加者が複数の班に分けられ、様々なチェックポイントで出されるクイズに協力して正解を見つけ出すという、懐かしさすら感じるルールで行われた。最初に簡単なミーティングを行い綿密な計画を立てた我々の班は、全ての班の中で最も早くゴール地点に到達するという偉業に成功した。しかしこのゲームの肝であるクイズの正解率に問題があり、残念ながら入賞を逃すという残念な結果に終わった、我々はルールの本質をどこか見誤ってしまったらしい。それでも私は、たまたま同じ班になった赤の他人が見知らぬ土地の商店街を歩きながら不器用に交わした言葉の数々を、順位では表せない輝きと価値を持つものであると信じている。
 夕刻行われた交流の夕べでは、酒が入ってとても盛り上がった。テーブルに並ぶ愛知の食文化、各地から持ち寄られた自慢の地酒、ステージでは体当たりの芸が披露され、昼間仲良くなったものはその労をねぎらい合い、お目当ての異性がいる者は酒の勢いを借りて積極果敢なアプローチを展開し、宴が二次会に移った後もまるで永遠に夜が続くかの如く我々は歌い、飲み、そして笑った。
 三日目は賞の発表と閉会式、そして万博見学があった。
受賞者の顔には、結果の如何に関わらず、一様に満足気な表情が浮かんでいた。それまでの研究の苦労や仲間の協力を思い出していたのではないのだろうか。
 万博は様々なメディアで詳しく紹介されているので、ここでは割愛する。
今回の「全国農業青年交換大会」では、多くの貴重な経験をする機会に恵まれました、以後この経験を最大限に生かしつつ、微力ながらM県の農業に携わっていきたいと考えます。今回、このような研修に参加するチャンスを私に与えて下さった、MJ市とMJSAP会議に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。』
by travelers-high | 2005-10-09 12:54 | 鬼太鼓農業